ゲームの歴史(1)

 ゲーム=「道具」の要素がある。どの時代にも、その時点で利用可能な技術を使って、新しいゲームや遊びを作ろうとする人がいる。

ペニーアーケード

 1895年頃、ゲームセンターの源流となる「アーケード」が誕生した。コインオペレート(硬貨作動式)の機器を並べた店である。20世紀初期には「ペニーアーケード」として米国全土で店舗が増えていった。当初は「自動演芸」として、音楽や映像を楽しむ事が主たる目的だったが、1930年頃からスポーツをゲーム化した機器が増え、ゲームセンターとしての性格を強くしていった。

ピンボール

 1931年にGottlieb社がBaffle Ballを発売。それに追随したBally社のBallyhooもよく売れた。しかし、Bally社がピンボールをゲーミング機(ギャンブルマシン)として発売したため、当時、社会的に問題となっていたスロットマシンと同一視され禁止された。その後、フリッパー(ひれ)を導入してプレーヤーの技量が介入するようになったが、1972年まで解禁されなかった。同年、ビデオゲーム「PONG」が発売された。

遠藤 嘉一

えんどうかいち(1899~2001)日本ゲーム業界の先駆者。新世界で薬屋を営んでいた時に自動販売機を製作。宝塚新温泉にコインオペレート式木馬を納入。松屋浅草店にスポーツランドを開設した。

ATARI

 ビデオゲーム産業の父と呼ばれるノーラン・ブッシュネルが1972年に創業したゲーム会社。社名は囲碁用語に由来する。PONG、BREAK OUTなど70年代から80年代初期までは他社を圧倒する開発力で次々にヒット作を世に送り出した。スティーブジョブズが在籍していたことがある。

関西精機製作所

 60~70年代にミニドライブ、インディ500などのエレメカゲームのヒット作を販売した。当時はコピーを防止する法律が完備されておらず、娯楽機器は無断で類似品を作るのが当たり前だった。インディ500(影絵を使ったドライブゲーム)は2000台売れたが、世界ではその数倍の数のコピー品が作られた。

1970年頃

 1970年、大阪の千里丘陵で日本万国博が開催された。前年、アポロ11号が月から持ち帰った「月の石」が話題になった。古河パビリオン、日本IBM館でビデオゲームが展示された。この頃、ボウリングが大流行した。長い順番待ちの時間をつぶすため、場内に作られたゲームコーナーが人気を得た。ボウリング場の増加に伴ってゲーム機の需要が大きく増えた。

スペースインベーダー

 1978年、株式会社タイトーが発売したビデオゲーム。日本中で大ブームを巻き起こした。コピー品が大量に出回ったため、タイトーはその対策に乗り出した。これが契機となって、法的にコピー品を取り締まることができるようになった。

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